事を示してゐる。後には、此かけづくり[#「かけづくり」に傍線]をはしどの[#「はしどの」に傍線]などゝさへ称する様になつた。だから、考へると、市廛《イチタナ》の元の作りが訣つて来る様に思ふ。恐らく、異郷人と交易行為を行ふ場処は、かうした棚を用ゐたので、その更に起原をなすものは、棚に神を迎へ、神に布帛その他を献じた処から、出てゐるのである。
さうした意味から考へると、日本紀天孫降臨章にある、
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天孫又問曰、其於[#(ニ)][#二]秀起浪穂之上《ホダタルナミノホノウヘ》[#一]、起《タテ》[#二]八尋《ヤヒロ》殿[#(ヲ)][#一]而、手玉玲瓏織※[#「糸+壬」、第3水準1−89−92]《タダマモユラニハタオル》之|少女《ヲトメ》者、是[#(ハ)]誰|之女子耶《ガヲトメゾ》。答[#(ヘテ)]曰[#(ハク)]、大山祇神之女等。大《エヲ》号[#(ヒ)][#二]磐長姫[#(ト)][#一]少《オトヲ》号[#(フ)][#二]木華開耶姫[#(ト)][#一]。
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とある八尋殿は、構への上からは殿であるが、様式からいへば、階上に造り出したかけづくり[#「かけづくり」に傍線]であつた、と見て異論はない筈である。此棚にゐて、はた織る少女が、即棚機つ女《メ》である。さすれば従来、機の一種に、たなばた[#「たなばた」に傍線]といふものがあつた、と考へてゐたのは、単に空想になつて了ひさうだ。我々の古代には、かうした少女が一人、或はそれを中心とした数人の少女が、夏秋|交叉《ユキアヒ》の時期を、邑落離れた棚の上に隔離せられて、新に、海或は海に通ずる川から、来り臨む若神の為に、機を織つてゐたのであつた。
かうして来ると、従来、
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天《アメ》なるや、おとたなばた[#「おとたなばた」に傍線]のうながせる、玉のみすまる、みすまるに、あな玉はや。三谷二渡《ミタニフタワタ》らす、あぢしきたかひこねの[#「あぢしきたかひこねの」に傍線]神ぞや(記)
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といふ歌のたなばた[#「たなばた」に傍線]も、織女星信仰の影の、まだ翳さない姿に、かへして見る事が出来るのである。おと[#「おと」に傍線]といひ、玉のみすまる[#「玉のみすまる」に傍線]といひ、すべて、天孫降臨の章の説明になるではないか。而も、其織つた機を着る神のからだ[#「
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