の健康を祝福したのであつた。これを、死者にする聖霊会と分つ為、十三日以前に行ふ事にしてゐた。盆礼の古い姿である。親・親方・主人の為にしたのが、殊には、族人の長上に向つて行ふ風が、目だつて見えた。
正式な形は、恐らく一人々々、ばら/\に出かけて、祝うて帰る、といつた風ではなく、定つた日に、長上の家に集つて、家主に向つて、一同から所謂、おめでた詞《ゴト》を述べたのであらう。正月ならば、てんでに、鏡餅を持つて据ゑに行く処を、多く、塩鯖を携へて行くやうに、手みやげの分化が、行はれてゐた。此鯖を捧げる極りは、未だに行はれてゐるやうであるが、元はかうした品物を、一般にさば[#「さば」に傍点]と称へてゐたのが、さば[#「さば」に傍点]ならば一層、さかな[#「さかな」に傍線]の鯖にした方が、言葉の上の祝福の効果も多からう、といふ考へから、いつか、さかな[#「さかな」に傍線]になつて行つたものと思ふ。実の処、年暦の改まる時に奉つたものは、魂であつたので、さば[#「さば」に傍点]――産飯《サバ》と書きなれてゐる所の――といふ語で表す様になつたのには、聯想の、他から加つて来たものと考へる。だから、此をも、たま[#「たま」に傍線]といふべきなのだらうが、長い年月の間に、盆・正月二期の同じ行事を、特殊な言葉で言ひ分ける必要を感じて来たのであらう。
魂を献上する式については、年末年始の際に、くり返す必要が、今から見えてゐるから、其時まで、説明の省略を許して頂くが、今言うてよい事は、なぜその魂を、生者にも、死者にも奉らうとするのであるか、といふ点である。死者の魂祭りに関しては、まつり[#「まつり」に傍線]の語の内容が、変化した近代において、前代から承けついだまゝの語形、たまゝつり[#「たまゝつり」に傍線]を俗間語原説から、亡き魂を奉祀すると考へてゐる。だが、語自身、疑ひもなく、魂を献上する行事の意味である。まつり[#「まつり」に傍線]なる言葉は、長上に献ずる義から、神の為の捧げものを中心にした祭儀といふのが、古意なのである。
死者に奉る魂の事は、年末の荷前使《ノザキノツカヒ》が、宮廷尊族の近親の陵墓へたてられたことから見ても、明らかである。この荷前《ノザキ》は、東人が捧げた、生蕃の国々の威霊であつたのを、天子から更に、まづ陵墓に進められたことゝ解する外はない。さうすると亡魂が返るのを、迎へてまつ
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