鹿素行などの一流の士道なるものは、其後に出来たのである。
武士道は、此を歴史的に眺めるのには、二つに分けて考へねばならぬ。素行以後のものは、士道であつて、其以前のものは、前にも言うた野ぶし[#「野ぶし」に傍線]・山ぶし[#「山ぶし」に傍線]に系統を持つ、ごろつき[#「ごろつき」に傍線]道徳である。即、変幻極まりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼等の道徳であつたのである。だから、彼等の道徳には、今日の道徳感を以て考へては、訣らないやうなものもある。

     二〇 気分本位の生活

一例を挙げるなら、北条早雲が三浦荒次郎を攻めたとき、三浦の城が落ちると聞くや、早雲の家来十幾人は、三浦方の方を向いて、割腹した。此は嘗て、三浦方に捕はれたとき、彼方で好遇を受けた其恩に感じたのだと言ふ。今日、それだけの雅量あるものが、果してあらうか。
後世の侠客・ごろつき[#「ごろつき」に傍線]の中には、多少それに似た道徳感が流れてゐた。睨まれゝば、睨み返すのが、彼等の生活であつた。即、気分本位で、意気に感ずれば、容易に、味方にもなつたが、また直に、敵ともなつた。我々が、多少で
前へ 次へ
全31ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング