日本の国民性に合はない、不思議な挿入物だ、と言ふ様に見てゐる人もある。坪内・藤岡両博士の御意見も、さうの様であつたと記憶するが、此なども、以上述べたやうな、これの発生・源流に就て考へて見るならば、一応の解釈はつくと思はれる。
勿論、さうしたことは、時代の好尚、其他の事情によつて、特に、病的に発達して行くこともある。
しかし、歌舞妓芝居にあつては、既に、其起りが、乱暴・異風――そして、それが性欲的であつた――を採り入れた芸術なのであるから、さうしたこと――残虐的、或は、性欲的な場面――が、多分にあつたとしても、其は、必しも、不思議とするには当らないのである。
一九 「士道」と「武士道」と
大体、今日一般が考へてゐる道徳なるものは、歴史的に見て、此がどれだけの価値を持つてゐるか、一考を要すべき点があらうと思ふ。
今日、一般が考へてゐるところの、所謂武士道なるものは、大体、徳川氏の世になつて概念化されたものである。徳川氏は、天下を取ると同時に、先、儒教によつて一般を陶冶しようとした。即、謀叛・反抗をしてはならぬといふ、道徳的陶冶をなすべく、最初は、此を禅僧に謀つたのであつた。山
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