られた一つの中心は、桃山時代であつた。当時は、事実此風が、盛んに行はれもしたのであつた。
阿国の念仏踊りを、かぶき[#「かぶき」に傍線]と言ふ様になつたのは、彼女には、いろ/\な演芸種目があつて、其一つに「かぶき踊り」と言ふのがあつたのだと思ふ。
当時の貴族・豪族たちは、何でも、異つたものに目を止めた。阿国も、さうして認められた一人だつたのだ。彼女が京に出て来て、五条の橋詰め・北野の東などに舞台を構へた時に、此等の大名たちは、直に其に目を止めた。彼女が頭を擡げて来たのは、さうした擁護者を得る事が出来たからだつたのである。
彼等の芸を、何故かぶき[#「かぶき」に傍線]と言うたかと言へば、彼等の持つてゐた演芸種目の中に「いざやかぶかん、いざやかぶかん」と言うて踊る踊りがあつて、其から名づけられたものだと思ふ。阿国の演芸では、阿国と名古屋山三との問答があり、それから「いざやかぶかん」になるので、此をかぶき踊り[#「かぶき踊り」に傍線]と言うたらしい。
一二 幇間の前駆
かぶき踊り[#「かぶき踊り」に傍線]の起原は、名古屋山三が教へたとあるが、山三が阿国に教へたのは、早歌であつた
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