人口に膾炙してゐる親分・子分は、此人入れ稼業から始つたと見ていゝ。有名な幡随院長兵衛の頃には、もうそんなことはなく、ほんとうの人入れ稼業になつてゐたのであらうが、古くは、其子分を大名の家に売りつけたのであつた。
其を「奴」といつた。奴の名は髪の格好から出たものと思はれる。鬢を薄く、深く剃り込んだ其形が、当時ははいから[#「はいから」に傍線]風であつたのだ。そして、其が江戸で流行を極める様になつた。町奴の称が出来たのは、旗本奴が出来たからであつて、もとは、かぶきもの[#「かぶきもの」に傍線]と言うた。旗本奴もかぶきもの[#「かぶきもの」に傍線]・かぶき衆[#「かぶき衆」に傍線]などいはれたのであつた。併し、後には、此二者が交錯して、かぶき[#「かぶき」に傍線]の中に奴が出る様なことにもなつたのであつた。
一一 かぶき[#「かぶき」に傍線]とかぶき踊り[#「かぶき踊り」に傍線]と
かぶき[#「かぶき」に傍線]と言ふ語が、文献に現れたのは古いが、直接後世と関係したのが見えて来るのは、室町時代からだと思ふ。乱暴する、狼藉する意に用ゐられたのだが、古い用語例らしい。此語の盛んに用ゐ
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