年に一度、暮れ或は正月になると、どこからともなく出て来て、或特定の村、即、檀那村を祝福して歩いては、またどこへともなく帰つて行く。「隠れ里」の伝説はこれから起つたので、更に「隠れ座頭」などの嘘噺も出来、又、偶然山奥へ迷ひ込んだものゝ中には、此等の芸人村のあることを発見して、山伏し以上の法螺を吹いたものもあつたりしたのであつたが、要するに、隠れ里の伝説が、単なる伝説上のものでなかつた事だけは考へられるのである。
此も「翁の発生」で触れて置いたことだが、芸人の団体には、山奥のものと、更にもう一つ、海の岬に根拠を置いて海道を歩いた、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]との二者があつた。併し、近世では、かうした芸人は、山奥のものに限られた。そして、此が本筋の山伏しだつたのであるが、鎌倉以後、戦国時代には、此をまねた、或は彼等の群に投じたにせ[#「にせ」に傍線]山伏しが横行するやうになつたので、此等のものが諸所の豪族の家々を頼つて、海道筋を上り下りし、其等の家々にとり入り、遂には、其にとつて替らうとさへしたのであつた。
七 すり[#「すり」に傍線]・すつぱ[#「すつぱ」に傍線]・らつぱ[#「らつぱ」に傍線]
あまりに有名だから、名を出してもいゝだらう。蜂須賀家の祖先小六は、それの有名な一人である。彼が地位を得たのは、豊臣氏が栄えたからである。
彼等は、海道筋を上り下りする中に、一定の檀那(擁護者)を得たものが落ちつき、其を得ないものがうろつく。そして其中には落伍者が出来たので、其単独のものがすり[#「すり」に傍線]となり、団体的のものはすつぱ[#「すつぱ」に傍線]・らつぱ[#「らつぱ」に傍線]と言はれた。いづれも盗人職だつたのである。職人とは土地を持たないものを謂うたので、髪結ひを女工業と言うたなどは、職人の直訳とも見られる。ともかくも、当時はさうした盗人職・ごろつき[#「ごろつき」に傍線]職が厳然として存在してゐたのであつた。尤、現在だつて不思議な団体があつて、而も彼等は厳然として存在してゐるのである。
すり[#「すり」に傍線]は、すり[#「すり」に傍線]といふ道具をもつて歩いた団体だともいひ、旅人の旅具をすり替へることから、さう呼ばれるやうになつたのだとも言ふが、恐らくはほかひ[#「ほかひ」に傍線]・くゞつ[#「くゞつ」に傍線]などゝ同じやうに、旅行者の持つて歩いた
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