りんす」に傍線]は、即、其形見と考へられるのである。而も、此言葉は、新吉原になつて後も、長く廓《サト》言葉として、保存されることになつたのであつた。

     一七 八文字は女六法

それはとにかく、彼等が男のかぶき[#「かぶき」に傍線]・六法の、直接の影響を受けたと見られるものは、道中に見せた八文字である。八文字は明らかに女の六法であつた。
此が嵩じては、かの一中に謡はれた、勝山に迄なるので、一中節では、彼女が道中の途次、湯巻を落したが、其まゝ道中を続けたと言うて、大いに此を讃美してゐる。我々から考へれば、どこに其ほど讃美する価値があるのか、と思ふのであるが、要するに、当時としては、其が女六法にかなつてゐた。そして其が、性欲的でもあつたのだ。
いき[#「いき」に傍線]・はり[#「はり」に傍線]など言うても、もはや今日では、訣らぬものになつて了うたやうだが、所詮、女性と男性との意志の一緒になつたものである。
かうした気風は、吉原だけに見られたのではない。京の島原・大阪の新町、此等の廓《サト》にもあつたのだ。此様にかゝる方面にまで、ごろつき[#「ごろつき」に傍線]・あばれもの[#「あばれもの」に傍線]ゝ影響があつたのである。

     一八 美的な乱暴

以上述べて来た様に、歌舞妓芝居の起るまでには、従来考へられてゐたものゝ外に、かうしたあぶれ者[#「あぶれ者」に傍線]・乱暴者の生活から発生してゐると言ふ事実があり、尚、直接の原因としては、幸若の舞太夫の扶持を離れたものが、民間に下つたと言ふことがある。
そして、此二者が相寄つて、美的な乱暴を創始した。美的とは言うても、其は美学的見地からのものではない。尤、中には「助六」の様な美しくて、力のあるものもある。殊に、当時の、さうした風潮を念頭に置いて此を見るならば、団十郎の此を作つた気持ちは、容易に訣ると思ふのである。
かやうに、かぶき[#「かぶき」に傍線]・かぶく[#「かぶく」に傍線]と言ふ語の、元の意味は、乱暴する・狼藉するといふことであつたので、歌舞妓芝居はそれから生れたのであるが、もはや今日の歌舞妓には、さうした元の意味は、殆ど無くなつて了うてゐる。併し、今日でも、全然それが無くなつてしまつたとは、言はれない。
譬へば、日本の芝居には、濡れ場・殺し場など言ふ、残虐な或は性欲的な場面が少くない。学者の中には、此は
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