日本の国民性に合はない、不思議な挿入物だ、と言ふ様に見てゐる人もある。坪内・藤岡両博士の御意見も、さうの様であつたと記憶するが、此なども、以上述べたやうな、これの発生・源流に就て考へて見るならば、一応の解釈はつくと思はれる。
勿論、さうしたことは、時代の好尚、其他の事情によつて、特に、病的に発達して行くこともある。
しかし、歌舞妓芝居にあつては、既に、其起りが、乱暴・異風――そして、それが性欲的であつた――を採り入れた芸術なのであるから、さうしたこと――残虐的、或は、性欲的な場面――が、多分にあつたとしても、其は、必しも、不思議とするには当らないのである。

     一九 「士道」と「武士道」と

大体、今日一般が考へてゐる道徳なるものは、歴史的に見て、此がどれだけの価値を持つてゐるか、一考を要すべき点があらうと思ふ。
今日、一般が考へてゐるところの、所謂武士道なるものは、大体、徳川氏の世になつて概念化されたものである。徳川氏は、天下を取ると同時に、先、儒教によつて一般を陶冶しようとした。即、謀叛・反抗をしてはならぬといふ、道徳的陶冶をなすべく、最初は、此を禅僧に謀つたのであつた。山鹿素行などの一流の士道なるものは、其後に出来たのである。
武士道は、此を歴史的に眺めるのには、二つに分けて考へねばならぬ。素行以後のものは、士道であつて、其以前のものは、前にも言うた野ぶし[#「野ぶし」に傍線]・山ぶし[#「山ぶし」に傍線]に系統を持つ、ごろつき[#「ごろつき」に傍線]道徳である。即、変幻極まりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼等の道徳であつたのである。だから、彼等の道徳には、今日の道徳感を以て考へては、訣らないやうなものもある。

     二〇 気分本位の生活

一例を挙げるなら、北条早雲が三浦荒次郎を攻めたとき、三浦の城が落ちると聞くや、早雲の家来十幾人は、三浦方の方を向いて、割腹した。此は嘗て、三浦方に捕はれたとき、彼方で好遇を受けた其恩に感じたのだと言ふ。今日、それだけの雅量あるものが、果してあらうか。
後世の侠客・ごろつき[#「ごろつき」に傍線]の中には、多少それに似た道徳感が流れてゐた。睨まれゝば、睨み返すのが、彼等の生活であつた。即、気分本位で、意気に感ずれば、容易に、味方にもなつたが、また直に、敵ともなつた。我々が、多少で
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