つてゐた時の日記である。随筆と言ふものは、ある品格が必須条件である。其為にこそ、学者風格もあつてほしくなるのである。此にはさうした所が、好しいまでに出てゐる。堀君がさうして歩いてゐる間に、高畠の村陰に、崩れた築地を見出した。其がふと、王朝時代の零落した貴族邸の幻影を呼び出す――曠野を書く機縁に行きあたつたのである。思へば此頃は、中年に入つて後、堀君の最幸福な日々が、続いてゐたものと言はれよう。
十月大和に遊んでその十二月、寒くなつた冬に、又旅を思ひ立つて、奈良ほてるに行つた。此時は、天武・持統両天子合葬陵だと伝へられた五条野の墓の辺までへも行つてゐる。又は、山城へ越えて、瓶原《ミカノハラ》宮阯あたりまで出かけた。「暫らく誰にもあはずに、山の方に歩いてゐると、突然、上の方から蜜柑を一ぱい詰めた大きな籠を背負つた娘たちが、きやつ/\と言ひながら、下りて来るのに驚されたりしました。長いこと、山国の寒く痩せさらばうたやうな冬にばかりなじんで来たせゐか、どうしても僕には、こゝはもう、南国に近いやうに思はれてなりませんでした。」かう言ふ、文章すら、静かな幸福に満ちてゐる。
今昔物語本朝部の記述は、
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