其名所旧蹟を眺めることを喜ぶ素直さの一方に、其野山の間の窪地や、岡の陰に、誰の心にもとまらなかつた所を見つけて、腰をおろす。そこにゐて、耳を澄し、息を整へて、名もない所の心やすさをたのしむ静かな心――。さう言ふ所のあつた人だ。
「黒髪山」を見て、「ホトトギス」の写生文の栄えた時代を、何となく思ひ出した。併しつく/″\思ふと、「ホトトギス」の作者たちは、虚子・漱石から、四方太・三重吉に到るまで、皆何かえらさ[#「えらさ」に傍点]があつて、人を安んじさせなかつた。堀君に思ひ比べると、其がまざ/\感じられる。同行の神西さんが東京へ帰つてから、名もない山の中を歩いてゐる。古代人が幻想したやうに、木の葉を一ぱい浴びた姿の死者となつて、佐保山の奥に、ほんたうに自分自身が迷ひ入つたやうな感じを書いてゐる。しかしどこまで行つても、山は明るかつた。明るいなりに、山は無気味にしいんと[#「しいんと」に傍点]してゐた。さうして暫らくして、又物音のする村里へ出て来る。
奈良ほてるの、荒池を眺める部屋を出て、近在を廻り、気が向けば随分遠くまで踏み出す気にもなるといふ、神無月柿の熟する頃、堀君の健康が、調子よく行
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