々年たけて、親を養ふ様などを思うて、堪へられなかつたであらう。此時分の受領《ズリヤウ》の妻の生活は、そんなに幸福なものではなかつた。男こそ、宮廷・大貴族に仕へるさう言ふ女房を、客分のやうにして迎へて、そのぷらいど[#「ぷらいど」に傍線]に輝く思ひあがつた姿を、任国の人々の目に、ほのめかしてやるだけでも、天に上る気持ちがしたものであらう。だからさう言ふ夫や、家人《ケニン》にとり捲かれた有頂天な喜び、反省などは都に置き忘れて来たやうな生活をさせてやりたかつたのであらう。事実夫が信濃の国府(今の松本近辺)へ下るのに、誘はれなかつた彼女の生活が、その後豊かになつた風も見えなかつた。如何に平安朝も末に傾いてゐたと言つても、まだ院政時代にさしかゝつたゞけの時代で、都人が、花の様な世の中を楽しんでゐるに十分だつた。ひとり醒めたやうに、この女性は、時々遠国の夫から送りとゞけられる信濃の山づとを、つまらなさうに見てゐたであらう。其をもつと幸福にしてやりたかつたのだ。
堀君はちつとも、自分を世の常の人に変つた人間だと思はれようとしない人である。若い頃からさうだつたから、我々は感心する。名ある野山を歩いて、
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