る。此が奈良朝或は其以前の此語の内容である。ところが、神の内容が段々醇化して来ると、さうした「たゝり」を人間の過・罪から出るものと考へて来る。平安朝に入つては其色彩が強くなつて、天長四年の詔などに見えて来る。「御体|愈《ヤス》からず大坐《オホマ》しますによりて占へ求むるに、稲荷の社の樹を伐れる罪、祟りに出づと申す……」。「たゝり[#「たゝり」に傍線]にいづ」と言ふ語と「ほ[#「ほ」に傍線]にいづ」と言ふ語とには、輪郭には大した変りはない。唯内容には複雑味が加つて来てゐる。「たゝり[#「たゝり」に傍線]にいづ」はたゝり[#「たゝり」に傍線]として表すと言ふ事である。其を直にたゝる[#「たゝる」に傍線]とも古くから言うてゐる。但し、「……にたゝる」と言つた発想をとる。「何々となつてほ[#「ほ」に傍線]を示す」と言ふ事になるのである。語法は後まで固定して残つてゐても、言語情調や意義は、早くから変化してゐるのだから、「島の神たゝりて曰はく……」など言ふ様な表現を用ゐる事になつたのである。古い俤にかへすと、「獣一つすら獲ぬほ[#「ほ」に傍線]を示し給へるは、何れの神にいまして、いかなる御心かおは
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