実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。ところが此処に考へねばならぬのは、善い意味の神は「そしり」「ことゝひ」を自在にするが、わるい意味の神又は、含む所があつて心を示さない神が、専ら「ほ」を示す事に変つて来る。「ほ」の意味の下落でもあり、同時に「ほ」なる語の用ゐられなくなつた一つの原因とも思はれる。かうした場合に、唯ある現象のみ見せて、其由つて来る理由を示さないと言ふ形をとる。あるわるい現象を見て、神の「ほ」と感じ、其意味する所を問ふと言ふよりも寧其原因を求め聞いて、其に対する処置を採らうと言ふ事になる。かう言ふ風に展開して来ると、既にたゝり[#「たゝり」は罫囲み]の観念が確立した訣である。でも其古いものはやはり、人の過失や責任から「たゝり」があるのではなく、神がある事を要求する為に、人困らせの現象を示す風であつた。淡路島神は珠の欲しさであつた。龍田の神は社に祀られたい考へから作物をまづ荒してゐる。即人の注意を惹く為の「ほ」に過ぎない。かうしてくれるかどうかとの強談判に過ぎないので、人のせゐ[#「せゐ」に傍点]ではなかつた。かうして「たゝり」が「祟」の字義にはまつて来
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