しますとて卜ふるに、神の心出で来たり。……」と言ふ風にあるべき処である。して見れば、「……にたゝる[#「たゝる」に傍線]」と言つた語法は、其以前から保存せられたものと見てよい。十握の劔を「ほ」として出現せしめられた、古い形の「たゝり」は「ほ」と言ふ語で表すべきものであつて、単に現象のみならず、ある物質をも出したのが、次第に一つの傾きに固定して来たのであつた。
此序《このついで》に言ふべきは、たゝふ[#「たゝふ」は罫囲み]と言ふ語である。讃ふの意義を持つて来る道筋には、円満を予祝する表現をすると言ふ内容があつたのだとばかりもきめられない事である。「たつ」が語原として語根「ふ」をとつて、「たゝふ」と言ふ語が出来、「神意が現れる」「神意を現す様にする」「予祝する」など言ふ風に意義が転化して行つたものとも見られる。さう見ると、此から述べる「ほむ」と均しく、「たゝふ」が讃美の義を持つて来た道筋が知れる。だから、必しも「湛ふ」から来たものとは言へないのである。
忽然として「ほ」の出現するといふ思想は、後世まで一夜竹流の民譚を止めてゐる。一夜にして萩の生えたと言ふ播磨風土記の話も、一晩の中に山の出来
前へ 次へ
全32ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング