なつてゐる二道では、跛《アシナヘ》・盲に出くはすだらう。だから紀州路は脇道ではあるが縁起のよい道だと出たので、其によつたとある。此も実は訣らぬ話で、跛盲に逢ふと、其道は呪はれてゐると言ふ心あたりを得たのであらう。さうした経験の積み重《かさな》りから、かうした逆の言ひ方が生じたものと思ふ。更に此より先、出雲大社に詣でるのが果して神の意かどうかを問ふのに、あけたつの[#「あけたつの」に傍線]みこは、甘橿《アマカシ》の丘《ヲカ》の鷺が落ちたら神の意思と信じると言ふ約束をたてゝ置いて鷺をおとし、又其を飛び立たせ、熊橿の葉を枯らしたり蘇らしたりして、神の意思を試してゐる。此はうけひ[#「うけひ」は罫囲み]と言ふ神意を問ふ様式で、どちらかをきめる場合の方法である。此が一転すると、一極《イチギ》めの方法になるし、又一方既に占ひの方に踏みこんでゐる様である。「うけふ」は承ふ(ウゲガフ)と言ふ語の古い形で、承《ウ》くを語根としたものだ。神がいづれを承けひいてくれるかと其肯否を問ふのである。二つ以上の条件を立てゝ、神の選択に随ふ神判を請ふ手段である。だから、此れが一転して神の保証によつて、自分の心を示す誓
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