れたものどうしを繋ぎ合せるから起る間違ひである。
自身の善意に憑んで主張する場合にはちかふ[#「ちかふ」に傍線]と言ふが、他人の心の善悪を判じかねて、悪なら禍あれ、善なら事なかれと言ふ観念から出る呪言は、とこひ[#「とこひ」は罫囲み]であり、其をする事をとこふ[#「とこふ」は罫囲み]と言ふ。やはり神の判断に任せてするのである。其も後には、単なる呪咀を言ふ事になつて来た。尠くとも奈良朝での用語例は、もはや此処に結着して居た。古い正則な使ひ方は、「天神其矢を見て曰はく、此れ、昔我が天稚彦《アメワカヒコ》に賜ひし矢なり。今何故に来つらむとて、乃矢を取り呪《トコ》ひて曰はく、若し悪心を以て射たりしならば則、天稚彦必害に遭はむ。若し平心を以て射たりしならば則、恙《つつが》なからむと、因りて還し投ず。則、其矢落下して、天稚彦の高胸に中りぬ」と見えるのが其である。唯こゝも「害に遭へ。恙なかれ」と発想する法が古いのである。
うけひ[#「うけひ」に傍線]に於いては、神意から出てゐるかどうかと問ふのが、神意がどちらにあるかと言ふ考へに移り、ちかひ[#「ちかひ」に傍線]では、わが行為意思が神慮に叶うてゐる事
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