語根なる「ねぐ」と同根なる事である。「すめら吾《ワ》がうづのみ手もちかき撫でぞねぎ給ふ。とり撫でぞほめ給ふ」など言ふのは、唯の犒ひではない。対句としての意味の近似性を中心にして、其に「ねがふ」の語根である事を併せて考へると、義は大分変つて来る。まだある勤労を致さない先から「ねぎ給ふ」と言うてゐるので見ると、どうしても労力の結果に対する予め褒める誇張的な表現の語を言ふのに違ひない。「お前はえらいから、うまくするに疑ひがない」など言ふ風なのが、ねぐ[#「ねぐ」に傍線]の本義らしい。上の詔勅は其用語例が倫理観を伴うて来てゐるが、古意はそこにあるので、禰宜《ネギ》と言ふ語も、ほんとうに訣つて来るのである。語根のね[#「ね」は罫囲み]はほかで説く(索引参照)が、ほぎ人[#「ほぎ人」に傍線]・ほがひゞと[#「ほがひゞと」に傍線]などゝ同様の成立を持つて居るのである。神・精霊をねぐ[#「ねぐ」に傍線]人なのであつた。「願ふ人」の意ではない事が知れる。
ほむ[#「ほむ」に傍線]も讃美・褒賞の義を分化する道筋を考へて見ると、現状以上の理想的な結果を誇張して言ふ義を含んでゐたのである。即幾分ほぐ[#「ほぐ」に傍線]よりは、新しく「ほ」なる語根の意識が変化してからの事と思はれる。後に言ふ「ほがひ」の人々に似た職業の「ほめら」と言ふ部落が四国吉野川の中流以下の地方にある。此は「ほめなむ」「ほめようよ」など言ふにおなじ方言で、此等の職業人が、家々に来て「ほめら/\」とほめさせてくれと要求した為の名で、近世風の者ではあるが、ほぐ[#「ほぐ」に傍線]に近いほむ[#「ほむ」に傍線]のなごりの固定したものと考へる。「まけ柱ほめて造れる殿の如、いませ。母刀自|面《オメ》変りせず」(万葉巻二十、四三四二)は真木柱より其を建て、其様にゆるぎなかれとほぎ言して造つた殿と言ふので、ほぐ[#「ほぐ」に傍線]と殆違はぬ時代の用例である。「ほ」を語根とした語と見えるものに、今一つある。
日本紀の一書に見えるもので、「凡《スベ》て此《コヽ》に諸物皆来聚しき。時に、中臣の遠祖|天《アメノ》児屋命則以|神祝祝之《カムホサキホサキキ》神祝々之。此[#(ヲ)]云[#(フ)][#二]加武保佐枳保佐枳々[#(ト)][#一][#「神祝々之。此[#(ヲ)]云[#(フ)][#二]加武保佐枳保佐枳々[#(ト)][#一]」は1段階小さな文
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