をかしる[#「かしる」に傍線]為に、様々の物を用ゐてゐる中、秋山下冰壮夫のかたみ[#「かたみ」は罫囲み](身代り)として、出石川の河の石を塩にまぶし、出石川の竹の葉に包み、其竹で造つた八目《ヤツメ》の荒籠《アラコ》に入れて、此竹葉の萎むが如青みしぼめ。又此汐の満ち干る如満ち干よ。又此石の沈むが如沈みこやせと咀言して烟《カマド》(?)の上に置かしたと言ふのが著しい例である。
此かしり[#「かしり」に傍線]の呪文を見ると、全くかたみ[#「かたみ」は罫囲み]を以て「ほ」と一つに扱うてゐるではないか。かしる[#「かしる」に傍線]の語原は知れぬが、選択を神に任せる対象的のとこひ[#「とこひ」に傍線]から一転したものなる事は明らかである。かしりつく[#「かしりつく」に傍線]事が受け身にとつてはまじこる[#「まじこる」は罫囲み]で、之を却ける法を行ふ事を、まじなふ[#「まじなふ」は罫囲み]と言うたらしい。語原まじ[#「まじ」は罫囲み]は、蠱物の字面に当る鳥・獣・昆虫類の人に疫病を与ふる力を言ふのであるが、之を使ふ側をも、後にはまじなふ[#「まじなふ」に傍線]と言ふが、始めは防ぐ方を言うたと考へられる。此点かしり[#「かしり」に傍線]とまじなひ[#「まじなひ」に傍線]との違ふ所である。尚一つ違ふ点は、庶物の精霊を術者が役すると言ふ所に在るらしい。
此等の語の代表語とも言ふべきのろふ[#「のろふ」は罫囲み]と言ふのは、平安朝の用語例で見ると、語根に既に呪咀の義がある様に思はせる「のろ/\し」など言ふ語がある。けれどものろふ[#「のろふ」に傍線]の分化した意義ばかりしか残らなかつた時代に、出来た新語の語根に、逆に呪咀の義を感ずる様になつてゐたと見るべきであらう。のろふ[#「のろふ」に傍線]がさうした分化を遂げるには、罵《ノ》る・叱《ノ》るなどの悪し様に言ふと言つた用語例が助けてゐる事であらう。まじなふ[#「まじなふ」に傍線]だけが少し違ふが、うけふ[#「うけふ」に傍線]以下皆一類の語で呪文が悪用せられて行く傾向を見せてゐる。同時に、「ほ」の出現を問題にせなくなつて来る。「ほむ」と「ほぐ」とに違ふ所があるとしたら、「ほむ」にはおだてる[#「おだてる」に傍線]意を持つて来てゐる事である。此点は、ねぐ[#「ねぐ」は罫囲み]も共通であつた。「ねぐ」の最初から願ふ義でなかつた事は、「ねぎらふ」の
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