字]」とあるほさく[#「ほさく」は罫囲み]と言ふ動詞があつた様に見える事である。谷川士清はその書紀通証に、今も言ふ「ほざく」と言ふ語の元と言ふ思ひつきらしい説を記しつけてゐる。なるほど託宣から出て、「御託《ゴタク》を並べる」など言ふ類もあるから、一概に否定は出来ない。但し其には、近世まで文献に現れる事なく「ほさく」と言ふ語が、庶民信仰の上に行はれて居たと見ねばならぬ。此点は、千数百年間の空白を補ふ用例の出る時まで断言は預つて置く。
さう見られなくもない事は、古い祭文の芸術化(索引ほがひゞと[#「ほがひゞと」は罫囲み]参照)した側から考へられる事実があるのである。其由緒を陳弁する方面から「ほざく」を悪い意味に使ふ様になつたと見られる。其と共に「ふざける」と言ふ語原不明の近代語も、ほがひゞとの「おどけ祭文」の側から言うたものと見ることも出来さうである。「ことほぎ」を「こどき」と言うた事は其条に述べたが、此も亦、祭文として芸術化したものと見れば、後世の「口説《クドキ》」と言ふ叙事風な語り物の本義が知れるのである。「くど/\」など言ふ副詞の語根「くど」から動詞化した「くどく」と言ふ語と同根と見、男女間のくどき言が多いからと考へて来たのは、実は間違ひかも知れない。口説《クドキ》の中に男女間の口舌《クゼツ》や妄執・煩悶ばかりを扱はぬ純粋な叙事詩もあるのである。さうすると、こどき[#「こどき」は罫囲み]と言ふ語も文献に現れないで、民間信仰の上にくどき[#「くどき」は罫囲み]と音韻の少しの変化した儘で、曲節が伝つて居り、さうした節まはしに謡はれる詞曲はすべて、「くどき」と言ふ名に総《す》べられたと見られる。さすれば、「ほざく」の説もなり立ちさうである。
唯万葉にも一箇所「ほさく」らしいものがある。「千年保伎保吉とよもし」(巻十九、四二六六)と言ふのであるが、鹿持雅澄は伎は佐の誤字として「ほさきとよもし」と訓んだ。宣長が「ほぎほぎとよもし」が「ほぎきとよもし」となつたのだとした説を修正したのである。宣長説も理窟は立つてゐるが、雅澄の方が正しいと思はれる。さて「ほさく」と言ふ語があつたとすると其語源の考へが、「ほ」の議論に大分大きな影響を与へさうである。私の考へでは、ほぐ[#「ほぐ」に傍線]・ほむ[#「ほむ」に傍線]の外に今一つ「ほす」と言ふ語があつて、其を更に語根として、「ほがふ」同
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