念として、歴代天子降臨・昇天の事実があると二つに分けて考へるだけの、理知の世の中になつてゐたのだとも言はれよう。
記・紀・万葉のみに拠るならば、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]の現《ア》れ継《ツ》ぎは、歴史から生れた尊崇の絶対表現だと言はれよう。祝詞を透《スカ》して見た古代信仰では、前者が後の合理観で、後者が正しいものと言はねばならぬ事になる。(詳しくは「あきつ神」の論の部に譲りたい。)
かうして、にゝぎの―みこと[#「にゝぎの―みこと」に傍線]の天降《アモ》りを唯一度あつた史実とした為に、高天[#(个)]原は、代々の実際生活とは交渉のない史上の聖地となつて行つた。村々の中、大空を神の居る処としたものは多かつたに違いないが、此地を示す標準語固定の後は、我々に残された書類では、「常世の国」が、邑落生活の運命を左右する神の住み処《か》と見られて行く傾きになつたものであらう。
藤原京に於いて既に、一部の人が「常世」に仙山の内容を持たしかけてゐる。此は帰化民の将来して、具体化しはじめた道教の影響である。而も純《ウブ》な形は、年月を経ても残つてゐた。大伴《オホトモ》[#(ノ)]坂上《サカノヘ》[
前へ
次へ
全34ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング