今も地方では、年棚《トシダナ》の下に置く処もある。つまりは、神を招《ヲ》ぎおろし其居給ふべき処を示す「作り山」なのだ。武家の正格な宴会には、之を正客の前に据ゑ、其他の盤・膳の類にも、植物の枝を挿す。すべて「まれびと」に対する古風が、形式化したものである。
近世、階級高い者の低い人の家に行く事が珍しくなくなつて、まらうど[#「まらうど」に傍線]なる古語の変形も、実際感から遠のいて解せられて来た。私はまれひと[#「まれひと」に傍線]の場合ひと[#「ひと」に傍線]を単純な人[#「人」に白丸傍点]とは会《ト》らなかつた。此ひと[#「ひと」に傍線]を人[#「人」に丸傍点]として見る事も出来よう。常世神の人なる事を知つた為、人を言うたものと説く事である。併しどうとつても根本の思想だけは、易らないと思ふ。
第二の場合は、時候の替り目或は人の病ひの篤くなつた時に行ふものである。家に関した呪言が家長の生命の祝福と結びついてゐるのは、「よごと」の文献に長い有史以前のある事を見せてゐるのである。生命の呪言は、宮廷では正月朝賀のをり、大殿祭のをり、特殊な場合では、即位の始めの新嘗即大嘗祭の時である。其他何事か
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