んだ事も推察出来る。
古代生活で、「まれ人」とおなじ尊さの人を迎へる事の出来たのは、「新室ほがひ」の時であつた。其で、神と言ふ意味を離れて、まれびと[#「まれびと」に傍線]が明らかに「人」の意識を持つ事になつた。だから人なるまれびと[#「まれびと」に傍線]に対する家々の態度は、やはり神であつた時代の風俗を長く改めなかつた。今もその姿を残してゐる。まれびと[#「まれびと」に傍線]には、その家の処女か其がなくば、主婦を出して、滞在中は賓客の妻とせねばならなかつた。王朝を通じて都の官人が地方人の妻女に対して理不尽と見える行ひをして居たのは、地方人が都の貴人の種《シユ》を家の血の中に容れようとしたからと解するのは、結果から言ふ事である。今も其遺風を持ち伝へてゐる島々はある。鳴門中将の二様の伝へや、源氏物語中、川の宿りの条なども、後世から見て単に貴顕の威に任せたものと見るのは、真の理会ではない。
あるじ[#「あるじ」は罫囲み]と言ふ語も、実はまれびと[#「まれびと」に傍線]の対語としてあるので、唯の主人と言ふことではない。主人として馳走をするから、饗応をあるじまうけ[#「あるじまうけ」に傍線]と
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