「夷三郎殿」などゝ言はれた「えびす」神は、実は常世神の異教視せられた名であつた。異教から稀にのみ来る恐るべき神という属性は、東人《アヅマド》その他を表す語なる「えびす」に当てはまつてゐた。「あらえびす」の「荒」の要素が忘られて来て、常住笑みさかえる愛敬《アイギヤウ》の神となつたのは、今一度常世神の昔に返つた訣なのである。「えびす」神信仰の内容を分解すれば、すぐ知れる事である。蛭子でもあり、少彦名でもあり、乃至は大国主・事代主の要素をも備へてゐて、而も其だけでは、説明のしきれないものがある。其は「まれびと」として、「あら」と言ふ修飾語を冠るに適当な神として、また単に漁業の神に限らないと言ふ点等に於いてゞある。
近世の庶民生活に、正月に家々に臨む年神を「若えびす」として居るものが多く、又年神を別に祀りながら尚|旦《あした》「若えびす」を迎へる風のある如きは、常世神の異訳せられた名称なる事を明らかにしてゐる。其上地方によつて、今も神主《シンシユ》なく、何神とも知れず、唯古来からの伝承として、ある無名の神の為と言ふ様な心持ちを表す場合には、「えびす」を以て代表させる風がある様である。此も日本神
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