手違ひになつて、物に不足する様になるとの呪咀を鈎にこめる事を教へたのである。貧窮を人に与へる事の出来る詞を授ける王の居る土地だから、富みに就いても如意の国土と考へる事は出来る。皇極天皇の朝、秦[#(ノ)]川勝が世人から謳はれた「神とも神と聞え来る常世の神」を懲罰した事件も、本体は桑の木の虫に過ぎないものに関して居た。此神も突発的に駿河に現れてゐるが、やはり海のあなたから渡来したものと信じられて居たのであらう。其はどうでも、常世の神の神たる富みを、農桑の上に与へた神であつたのである。
一体よ[#「よ」は罫囲み]と言ふ語は、古くは穀物或は米を斥《サ》したものと思はれる。後には米の稔りを言ふ様になつた。とし[#「とし」は罫囲み]といふ語が米又は穀物の義から出て年《トシ》を表す事になつたと見る方が、正しい様であるとおなじく、同義語なる「よ」が、齢《ヨ》・世《ヨ》など言ふ義を分化したものと見られる。更に「よ」と言ふ形に、「性欲」「性関係」と言ふ義を持つたものがある。此は別殊の語原から出てゐるのか知れないが、多少関係があるから挙げる。
常世を齢の長い意に使うてゐる例は沢山にある。私の考へでは、常世
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