は、当然である。
其為に時としては却《かへつ》て逆に、古い世にこそ、庶物の精霊が神言をなしたものとすら考へる様になつた。「磐《イハ》ね」「木《キ》ねだち」「草のかき葉」も神言を表する能力があつたとする考へが是である。我が古代の言語伝承に従へば、之をことゝふ[#「ことゝふ」は罫囲み]或はことゝひ[#「ことゝひ」は罫囲み]すると称へてゐた。併しながら「ことゝふ」なる語の原義に近いものは、唯発言する事ではなかつた。「言ひかける」と言ふ原義から出て、対話或は問答を交へると言ふ義も持つてゐたらしい。「しゞま」を守るべき庶物の精霊が「ことゝふ」時は、常に此等の上にあるべき神の力が及ばぬ様になつてゐる事を示してゐる。即《すなはち》神の留守と言つた時である。其時に当り、庶物皆大いなる神の如くふるまふ状態を表すのである。だから、巌石・樹木・草木の神語を発するのは第二次の考へ方で、此等皆緘黙するものとしたのが、古い信仰だつたのである。事実庶物の精霊の発語することは、後代却て不思議とせぬ所である。伝襲を役としてゐる律文類では、枕詞一類修辞法の様に「言とはぬ木すら」など言ふが、其根本必しも岩石草木に限らず、地
前へ
次へ
全12ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング