発語を惜しんで、唯|一言《ヒトコト》を以つて答へると称せられた一言主《ヒトコトヌシ》[#(ノ)]神の様なのさへあつた。後世短歌の上の頓才問答の様になつた「鸚鵡がへし」の如きも、恐らく起原はこゝに在るものと考へる。尤、直に此等の言語遊戯が出来たのではなく、数次の変転を経て居るには違ひないが、大体の起原は此処に在るものと見てさしつかへはない。此等は皆其端を、神語発生以後に発して居る。私の考へでは、旋頭《セドウ》歌・片哥《カタウタ》もやはり、此意味から出てある完成を示したものである。順序として、まづ「神語《カミゴト》」の初期の模様を語らねばならぬ。
神にして人語を発する者あるは、海のあなたより時を定めて来り臨む常世神《トコヨガミ》にはじまる(「まれびと[#「まれびと」に傍線]ととこよ[#「とこよ」に傍線]と」参照)。此神は元々人間と緻密な感情関係にあるものと考へてゐた為に、邑落生活を「さきはへ」に来る好意を持つと信ぜられてゐたのであつた。事実に於いて、常世神の来訪は、ある程度の文化を持ち、国家意識が行き亘つて後までも行はれてゐたのである。神々が神言を発する能力を持つてゐると考へる様になつたの
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