上の庶物を斥《サ》す事を考へれば、又草木岩石も物を言ひ人に化したりしてゐる事を考へれば、此成語の本来の意義は知れる訣だ。常世の論にも述べてある様に、「まれびと」が邑落生活をどうかすれば禍しようとする精霊を圧服する為に、時をきめて来臨して此等の低級な神々に「ことゝひ」をする。
私は、言問ふと言ふ考へを単に民間語原感に過ぎまいと思ふ。ことゞ[#「ことゞ」は罫囲み]と言ふ語根の活用であると考へる。「ことゞ」は命令を含んだ約束で、「これ/\の事は出来ないぞ」「これからかうせよ」と言ふ誓ひをさせる式であらう。いざなぎ[#「いざなぎ」に傍線]の命のよみ[#「よみ」に傍線]の国訪問の時、いざなみ[#「いざなみ」に傍線]の命との間に結ばれた各種の誓言は、実はすべてが「ことゞ」であつたのである。自身の親しい民の為に、これ/\の事をせぬ様、これ/\ぎり以上禍を与へぬ様にとの約束で、事実、「まれ人」と地上の神との「ことゝひ」の様の記憶が神話化して、特殊化したものとなつたのである。此古い形に対して、極端に変化したものを比べて見ると、継体天皇の時の事実と伝承した夜刀《ヤト》[#(ノ)]神を逐うた箭括《ヤハズ》[#(ノ)]麻多智《マタチ》の話である。山口に標木を立てゝ、此以上を神の地、此以下を人の田と定め、今から後自ら神祝として、夜刀神を祀るから祟りすな、と言うて、子孫代々此社に仕へたと言ふ。此などは、神の資格に於いてすべき事を、人がしたのである。だが、大体に「ことゞ」を交《カハ》す事は、常世神以外には出来ぬものと考へたものらしい。此も奈良朝以前にも既に特《コト》に神に請《コ》ふ位の内容しか感じられないまでに固定したと見えてゐるが、「ことあげ」と言ふ語が、「ことゞあげ」で、人間の神にする「ことゞ」を言うたと想像出来る。「ことあげ」は極めて虔しむべき事だつたので、「言挙《コトア》げ」を否定する文献の多い理由も知れる。此外には事実「ことあげ」を繰り返しながら、語の上でばかり之を避けてゐた理由が知れぬのである。
やまとたける[#「やまとたける」に傍線]の命が、胆吹山の神が猪になつて現れた事を誤認して言挙げし、其言挙げに因つて惑はされたとあるのは、神の種姓を知らずして「ことゞ」をなしたから効果がなかつたのである。此はよく「ことゝひ」の性質を示した事実である。
又万葉には、此語を歌垣の場の言ひかけ或は求
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