「しゞま」から「ことゝひ」へ
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)遡《ノボ》り

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)唯|一言《ヒトコト》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)一言主《ヒトコトヌシ》[#(ノ)]神

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
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われ/\の国の宗教の歴史を辿つて、溯《ノボ》りつめた極点は、物言はぬ神の時代である。さうした神の口がほぐれかけて、こゝに信仰上の様式は整ひはじめた。歴史も、文学も、其萌しは此時以後に現れたのである。発生期に於ける日本文学を論じる私の企ても、「神語《カミゴト》」のはじまつた時を発足点としなければならぬ。
神語を以て、なぜ文学の芽生えと見るか。口頭の文章が、一回きりにとほり過ぎる運命から、ある期間の生命を持つ事になるのは、此時を最初とするからである。われ/\の祖先が、其場ぎりに忘れ去る対話としての言語の外に、反復を要する文章の在る事を知るのは、此神語にはじまるのである。神語以外に、永続の価値ある口頭の文章が、存在しなかつたからである。
神語は、古代人の生活の規範でもあり、知識でもあつた。特殊の人々をして、これが伝承に努めしめて、罔極の祖先から永劫の児孫に及さうとしたのである。而も神語は、代を逐うて増加し、展開し、変転した。其間に通じて変らなかつたのは、其形式が律文以外に出なかつた事である。
散文の、権威ある表現能力を持つて来る時代は、遥かに遅れてゐる。真に国語を以て、国語的発想を自由にした散文は、奈良朝にすら現れなかつたのである。口の上の語として使い馴されて居ても、対話以外に、散文が成立文章として存在する理由がなかつた。記憶の方便と言ふ、大事な要件に不足のあつた為である。神語に散文のものがあると考へるのは空想である。神語の、成立文章として口頭に反復せられる為には、律文でなければならない。が、律文である事を要求したのではなく、本質として律文であつたのである。即たま/\律文であつた事が、神語に成文的の効果を与へ、文学としての展開を
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