つたのか、又別に、かい[#「かい」に傍線]から出直したのか、高知・徳島飛んで加賀・能登などのきに[#「きに」に傍線]がある。此は恐らくけに[#「けに」に傍線]の系統であらう。別に京都に後出した語と考へられるさけいに[#「さけいに」に傍線]がある。此はかいに[#「かいに」に傍線]から出た別形であらう。
方言の輸入径路を考へると、敬語系統には、かう言ふことが考へられる。敬語・丁寧語・自卑語などの自家の方言に少いことが地方人に弱みを感じさせることであり、それ等をとり込むことが、方言改良の、一つの大きな方針となつたのである。其故とりわけ反省的な心理要素のある対話敬語が、盛んにとり込まれて行つた。かうした感情の発達は、所謂封建時代らしい自然な筋路である。
 すかい[#「すかい」は太字] しけ[#「しけ」は太字]
すけん[#「すけん」に傍線]は、先に言つた様に、敬語と助辞の接合点がはつきりと器械的に見えてゐる。ところが、時代の前後は訣らぬとしても、接合が自然で、融和してゐて、其為相寄つた語が、語原的に理会出来なくなつて居るものが、今も方言中にはあつて、一見如何にも、「行かすけん」よりも古く出来たことを示してゐる。東京から考へると、逆に奥州あたりからおし出して、這入つて来ようとしてゐるかの様にすら見える。併し事実さう言ふことは考へられない。が、さう言ふ見方からすれば、――近い所では新潟殊にその信濃境までも這入つて来て居り、奥羽の中特に南部地方に盛行する外、飛び地のあちこち[#「あちこち」に傍点]にあるすけ[#「すけ」に傍線]である。やはり分布の歴史からは、其が奥州を中心として、部分的に偏在し残つたものとは見られない。中央から撒布せられたその径路において、其々残存したことは固より、先々の地方々々で、其々音韻分化や、民間合理解などが加つたと言ふ――特殊な残り方をしたものと見られる。青森や、新潟の一部にあるしけ[#「しけ」に傍線]は、かうした姿を示すものと見るべきであらう。
とにかく、すけん[#「すけん」に傍線]一統の方言と、すけ[#「すけ」に傍線]・しけ[#「しけ」に傍線]の一流とは、語形組織に、ちつとも変つた所は見られない。あると言へば、唯一点、九州のは明らかに敬語が敬語――実は軽親語――として這入つて居り、その機能も完全である。越後・奥州のものは、敬語意識は勿論、特に其部分の意義らしいものは推察出来なくなつてしまつてゐることは、上方のさかい[#「さかい」に傍線]と、ちつとも変らぬ程度なのである。
 敬語観の基礎[#「敬語観の基礎」は太字]
それは唯、恰も昔の感動詞か、置き字・挿入語と言つた風にしか受けとれない。一番聯想の近いのは、柳田先生の触れてゐられる「ぢや」「だ」等の「である」――系統のものとして拡げて考へれば、その方向へ更に展開して見ることが出来るやうな感じさへする。
敬語系統の語づかひに馴れなかつた地方人は、標準語として這入つて来た敬語・丁寧語を、その地方言語順列の中にとり込んでも、やがて敬語・敬礼語らしい感じも失つて行くか――或は、さう言ふ敬語感をとり入れるだけの素地に乏しかつた。だがさう言ふ事を重ねて行つてる間に、地方的言語の総体感が、幾分づゝか雅馴なものになつて行つたことだけは疑はれない。
敬語を敬語として遣つてゐても、敬語習慣が、人の心に熟して来るものとは言へない。かい[#「かい」に傍線]とす[#「す」に傍線]と結合したすかい[#「すかい」に傍線]が使はれてゐても、「なさるから」「なさつたから」など言ふ感情は、初めから終りまで人々に起らないで過ぎ去つて行つた土地が多い。が対話敬語として、感じるといふ側から詞の地を柔げるものとなつて、次第に融けこんで行つた地方もあるのは、考へておかねばならぬ。
 居残る標準語[#「居残る標準語」は太字]
大阪を中心とした「さかい」「さかいに」「さかいで」の過去と現在に渉つて感ぜられることは、敬語系統の語感の上で言へば、実際のところ、自分の語に品よく、甘美な感情を持たせようとしてゐるやうに見えることである。此は本来の目的にそぐはない結果だらうが、さうした所にも、この語の、わりこんだ理由の察せられるものは残つてゐる。地方文化が、可なりの高さを持つことをほのめかさうとしてゐる。さう言ふ感覚が、語感の上に行きわたつてゐるのを、我々は地方々々の方言の底に感じる。
「……すかい」が、東北へ向つて進んで行かぬ前に、上方の「すかい」は、恐らく既に「すかい」から転身して、「さかい」と言ふ音韻形をとつてゐたものであらう。極めて古い古典語に似た形が、思ひがけない地方の文献以外に、方言として残つて居ることのあればこそ、昔から、方言の存在が、古典的な意味を持つて、学者の注意を引いたのである。
我々の信頼してゐる文献上の
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