たそうである。
 いま一人の遍路も女であった。それは君子の母と同じ年頃の三十七、八歳かと思われたが、この女は鼠色のお高祖頭巾《こそずきん》ですっぽりと顔まで包んで、出ているところといっては目だけであった。その目元はいかにもすずしく、美しい目であったそうな。この遍路は部屋のなかでも、食事のときでさえお高祖頭巾をとらず、問わず語りに、業病のためにふた目とは見られぬ醜《みにく》い顔になっているので、頭巾をかぶったまま、こうしてお大師様におすがりしている。と言ったそうである。
 白髪の老女も、このお高祖頭巾の遍路も、普通の遍路も変わりがない服装をしていたが、どこかに上品なところがあって、いわゆる乞食遍路ではなく信心遍路であることが一目で分かった。
 このお高祖頭巾の女遍路は、よほど祖母の注意をひいたものらしい。それは女遍路が君子の母に生き写しで、お高祖頭巾の間からのぞいている目なぞ、まるで、君子の母の目をそこに移しかえたようで、その姿|容《かたち》なぞ瓜二つと言ってもおよばぬほどよく似ていた。もし、この女遍路がお高祖頭巾をかぶっていなかったら、どちらが君子の母か分からぬほどであったそうな。
 
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