順序が立っていたのではなく、機《おり》にふれ、時に従ってきれぎれに語られたもので、それも、君子がものごころのつく頃に多くは寝床のなかで聞いた話であるから、いまでは遠い記憶のかなたにかすんでしまって、その話のきれぎれが、まるで夢物語のようにしか思い出せない。しかし、君子にとってはたとえそれが掘っ立て小屋の陋屋ではあっても、祖母と二人で暮した当時の楽しい思い出である。記憶のかなたにうすれようとする、祖母の話の一つ一つを自らの想像でおぎない、今ではそれが立派な事実であったかのように君子の心のうちに成長している。たとえば、美しい尼僧の遍路と話をしている父の姿や、その傍らに坐って静かにそれを聞いている母の姿、尼遍路の顔などが、まるで映画でも見るようにはっきりと思い浮かぶのである。
父の死んだ、いや、殺されたと言った方が正しい、その日は二人の遍路が泊まっていた。一人は年の頃六十二、三の老婆であったか、黒い毛の一本も見ぬ見事な白髪をざんぎりにして後ろへ撫《な》でつけ、男を見るように丈夫そうな身体の老婆で、顔立ちも上品ではあったが、あまりに老人らしくないその体格が、なにか不自然な、無気味な感じを与え
前へ
次へ
全37ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山本 禾太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング