うに、ほこりにまみれて見るかげもなく損じてはいるが、夢のように君子の記憶の底に沈んでいるそれに違いはなかった。ことに抱茗荷の紋をちりばめた大名の乗るような黒塗りの駕籠を見上げたとき、深い靄《もや》が一度に晴れるように、抱茗荷の紋がはっきりと思い出せた。それは、門のなかにはいって行く母の姿を見送ったとき、母がかぶっていたお高祖頭巾の背中に垂れたところに染め出されていた大きな紋であった。
母の死骸が浮いていた、と記憶する池の畔《ほとり》へも行ってみた。そこには、みごとに花をつけた椿の枝が水の上におおいかぶさり、落ちた椿の花がすこし赤茶気た、しかし琥珀《こはく》をとかしたように澄んでいる浅い水底に沈んでいた。まだ水に浮いている花もあった。じつと水を見ているとお高祖頭巾をかぶったままの母の美しい死骸が、底にすきとおって見えるようだった。
こんな浅いところで死ねるだろうかしら、ふと君子は思った。たった一人の子である自分を門の外に待たしたまま母は自殺することができただろうか、お高祖頭巾の遍路が金のお札を飲まそうとしたのは父ではなく母であったはずだ。母は殺されたのではないか――母は殺されたのだ―
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