の掘っ立て小屋の付近に椿はなかったように思うし、たとえ山のなかや、他家の庭先なぞで見たことがあるにしても、それが、母の帰国に関係があるとは思われない。君子にはもっと、特殊な記憶にしっかりと焼けつくような大きな事件のあった時と所で見たに違いないと思われるのである。
 君子が母に連れられて発足してから、再び祖母のところに帰ってくるまでの話も、祖母から幾度となく聞かされたが、これは祖母自身が見ていた話ではないから、その大部分は片言まじりの君子の話か、祖母が想像して創《つく》りあげたものに違いないと君子は思っている。
 朝早く、まだ明けきらぬうちに母に連れられて家を出た君子は、汽車に乗ったり、乗り替えたり、船に乗ったりしたが、居眠っていたこともあれば、よく寝ているところを揺り起こされたり途中は夢うつつで、まるきり記憶になく、最後に乗合馬車を降りてからの道がとても遠い道であったことをぼんやりと覚えている。川もあった。小さな峠も越した。どこまでつづくかと思われるほど長い田圃道《たんぼみち》もあった。垣根に山茶花《さざんか》や菊などの咲いている静かな村もいくつか通った。そうした道を君子は母の背に負わ
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