、何といってもこの論争は大変面白い読物であると同時に探偵小説を学ぶものにとって益するところの多いものであった。
この論争の外に西田政治氏の毒草園、中島親氏の探偵小説月評があり、西田氏の毒草園は大朝の「天声人語」や大毎の「硯滴」流にすこぶる正鵠、シンラツなもので「ぷろふいる」誌第一の読物であった。中島親氏の月評も又堂々たるものでたしかに探偵小説が文芸として批評の対象たり得ることを示すと同時に、親氏自身立派に探偵小説評論の専門家として一家をなすに至っていた。
「ぷろふいる」はその誌の性質上新らしい作家を生み出すことに骨を折り、相当無名新人の作品を集めて優遇したが、なかなか新人を得ることが困難で僅かに大阪に蒼井雄君、鎌倉に西尾正君を発見した位のものであった。蒼井君は所謂気の利いた短篇物なぞは書けなかったがガッチリとした本格的な長篇物が得意で、それだけに大物という感じがあり将来を期待された人であったが、もっともかんじんな台頭時代事変のためにその後の消息を断つに至ったのは残念である。
平凡社の「大衆文学全集」が出たとき新進作家集としてその一冊が振り当てられ、森下雨村氏の監輯で当時新進であった
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