オジケ」た気持がそれをなし得ず一度の文通もせず氏は故人となられた次第である。
 新青年を中心とする思い出は、なかなか多いのであるが、なお思い出の多いのは「ぷろふいる」である。故人となった加納哲が、熊谷さんが探偵雑誌を出そうと言っていられるがどうだろうとの相談を受けたとき、到底長続きはすまいと思ったが、加納哲が少くとも一年は絶対にやめないと熊谷さんが言って居られるというので、それではということになり関西在住の探偵小説作家に支援を乞うて、いよいよ創刊号を出すことになり四條の八尾政で創刊記念の会を開いた。その時集った人達は西田政治さん、山下利三郎さんを筆頭に十人ばかりであったと記憶する。加納哲の編輯で創刊号を出したが、毎号赤字続きで、いつ廃刊になるかと、少々ビクビクもので居たところ、一年が二年経っても廃刊にならず、遂に五年も続いた。東京方面では、熊谷というのは一体何者か京都からこんな雑誌が出て五年もつづいているのは一つの奇蹟であると云った人もあったそうである。全く私などもこれが五年続いたには驚ろいていた次第である。
 その当時は「ぷろふいる」を中心に神戸をはじめ名古屋、京都、大阪、はては仙台
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