の心から、あなたの姿は永遠に消えないからです。
[#ここで字下げ終わり]

 いのちをかける何物をも持たぬ閑枝にとっては、この主の知れない手紙は、大きな心の刺戟であった。
 原稿用紙へ、ペンで小さく書てある字を、瞶めていると、その一線一画にさえ、どうやらなつかしさを覚えてくるのであった。閑枝は何とはなしに、その手紙を、鼻にあてて見た、そこにはほのかな、紙とインクの香があった。また封筒を手に取って見た。落付いた行書で、閑枝の名前が、やや大きく書かれてあった。見も知らぬ人の手によって、書かれた自分の名前、それが何か、宿命とか、因縁とか、云うような決定的なもの[#「もの」に傍点]が、この見も知らぬ手紙の主との間に、結ばれているのではあるまいか、と云うような、魅力を持った不安が感ぜられるのであった。左の肩に、正しく貼られた切手には、ハッキリとした「山代《やましろ》局」の消印があった。

        (三)

 そのあくる日、閑枝は、一人で山中へ行って見た。黒谷橋から断魚渓に沿うて、蟋蟀《こおろぎ》橋へ上った。岩を咬む急|潭《たん》が、ところどころでは、淵となって静かな渦を巻いていた。そこに
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