が、活字の外には何にも書き入れてなかった。画にもサインはしてなかった。切手には例の通り「山代局」のスタンプで、六月十八日の日附があった。
 その翌る朝閑枝は電車で片山津を発った。電車の窓からは朝の陽に光る湖水と、その湖畔の小さな温泉町とが見えた。あの町のどこかにあの画を描《か》いた人がいる。と思うと引返したいような気持になるのであった。

        (五)

 閑枝が京都へ帰ってから、一週間ばかりの後であったが、兄から手紙が届いた。その手紙の一節に次のようなことが書かれてあった。

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 ……お前が帰ってから一寸変なことが出来たよ、お前の写真を写したあの弥生軒と云う写真屋ね、あの写真屋のおやじが、お前を撮らして貰ったことを光栄に思って、――一つは大変自慢していたから、あれでも会心の出来栄えだったのだろう――あれを手札に伸して陳列の中に入れて置いたのだそうだ。所が、その陳列箱と云うのが、お前も多分知っているだろうが、あの弥生軒が小路を入った奥にあるのだから、自分の家から出た角の、宝来旅館の横手の壁板に取付けてあるのだ。
 お前が帰ってから三日目の朝だったそうだが
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