はだしきなり。むかし水戸義公は日本諸寺社の古文書を写させ、水災を虞《おそ》れて一所に置かず、諸所に分かち置かれしという。金沢文庫、足利文庫など、いずれも火災少なき辺土に立てられたり。件《くだん》の上山路村の仕方は、火災の防ぎ十分ならぬ田舎地方の処置としては、古人の所為に比してまことに拙き遣方《やりかた》とやいわん。さて焼けたる諸社の氏子へ一向通知せず、言わば神社が七十二も焼けたるは厄介払いというような村吏や神職の仕方ゆえ、氏子ら大いに憤り、事に触れて、一カ月前にも二大字|合従《がっしょう》して村役場へ推しかけ荒々しき振舞いありし。件の社の焼跡へ、合祀されたるある社の社殿を持ち来たり据えたるに、去年秋の大風に吹き飛ばされ、今に修覆成らず。人心合祀を好まず、都会には想い及ばざる難路を往復五、六里歩まずば参り得ぬ所ゆえ、大いに敬神の念を減じ、参らぬ神に社費を納めぬは自然の成行きなり。
 熊野は本宮、新宮、那智を三山と申す。歴代の行幸、御幸、伊勢の大廟よりはるかに多く、およそ十四帝八十三回に及べり。その本宮は、中世実に日本国現世の神都のごとく尊崇され、諸帝みな京都より往復二十日ばかり山また山を
前へ 次へ
全72ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング