踰《こ》えて、一歩三礼して御参拝ありし。後白河帝が、脱位ののち本宮へ御幸三十二度の時御前にて、
  『玉葉』   忘るなよ雲は都を隔つともなれて久しき三熊野の月
 巫祝《みこ》に託して、神詠の御答えに、
暫くもいかが忘れん君を守《も》る心くもらぬ三熊野の月[#この歌、二行前の歌に頭揃え。]
 また後鳥羽上皇は、本宮焼けてのちの歳の内に遷宮《せんぐう》侍りしに参りあいたまいて、
  『熊野略記』 契りあらば嬉しくかかる折にあひぬ忘るな神も行末の空[#で各歌の頭は全て揃っている。]
 万乗の至尊をもって、その正遷宮の折にあいたまいしを、かくばかり御喜悦ありしなり。しかるに、在来の社殿、音無《おとなし》川の小島に在《おわ》せしが、去る二十二年の大水に諸神体、神宝、古文書とともにことごとく流失し、只今は従来の地と全く異なる地に立ちあり。万事万物新しき物のみで、露軍より分捕の大砲など社前に並べあるも、これは器械で製造し得べく、また、ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし。
 これに反し、流失せし旧社殿跡地の周囲に群生せる老大樹林こそ、古え、聖帝、名相、忠臣、勇士、貴嬪《きひん》、歌仙が、
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