老いたる妻に聞きて白髪を残し黒きを抜き、また若き妻に聞きて白髪を抜き白粉《おしろい》を面に塗り青黛《せいたい》を眉《まゆ》に描く、小婦も老婦もこれを醜しとし追い出す、農して自活せんと思いしに、雨ふれば峰に登り日照れば谷に下りていたずらに暮しぬれば、畜生の報いを受けて犬となるに習因残れり、一の大河を隔てて東西に人里ある所に生まれて、朝の烟《けむり》東の里に立つ時は東に廻り到る、烟は立てども食いまだ出来ざる間、また西の里に烟立つを、いずれはさりともと思うてまた河を廻りて西に着くほどに、河の中にて力|竭《つ》きて空しく流れ失《う》せぬ、心多き物は今生後生ともに叶わぬなり」と記せるを見るに、もと心の一定せぬ物は思い惑うて心身を労《つか》らし、何一つ成らぬという喩《たと》えに作られた仏説なるを、道春不案内で、実際そんな事蹟があったと信受して碑文を書いたのだ。
 犬に宗教の信念あった咄《はなし》諸国に多い。『隋書』に文帝の時、四月八日魏州に舎利塔を立つ。一黒狗|耽耳《たんじ》白胸なるあり、塔前において左股を舒《の》べ右脚を屈し、人の行道するを見ればすなわち起ちて行道し、人の持斎するを見ればまたすな
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