4水準2−13−40]《つか》めば犬すなわち退き伏すと。了意の『東海道名所記』に「大きなる赤犬かけ出てすきまなく吠えかかる云々、楽阿弥も魂を失うて俄《にわか》に虎という字を書いて見すれども田舎育ちの犬なりければ読めざりけん、逃ぐる足許へ飛び付く」とある。幸田博士の『狂言全集』下なる大蔵《おおくら》流『犬山伏』の狂言に、茶屋の亭主が、山伏と出家の争論を仲裁して人食い犬を祈らせ、犬が懐《なつ》いた方を勝ちと定めようというと、出家は愚僧劣るに必定《ひつじょう》と困却する。亭主|私《ひそか》に、あの犬の名は虎だから虎とさえ呼ばば懐き来る、何ぞ虎という語の入った経文を唱えたまえと誨《おし》える。因ってその僧が南無《なむ》きゃらたんのうとらやあ/\と唱えるや否や犬出家に狎《な》れ近づく。山伏祈れば犬吠えかかり咬み付かんとする故山伏の負けと決する。犬より強い虎の字を書いて犬を制し得るという中国説が、本邦に入って、犬の名の虎に通う音の入った経文を唱えてその犬を懐柔する趣に変ったのだ。前年『郷土研究』一巻八号に出し置いた通り、田辺近き上芳養《かみはや》村の人に聞いたは、吠えかかる犬を制止するには、その犬
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