まれると見えると言い、更に被告に向い汝はいまだ死犬のために祈祷せぬらしいからわれらと一緒に始めようじゃないかと言ったとある。このしまいの文句は欧州語に難訳で、祈祷を始めようと金を入れた嚢《ふくろ》を開こうとの両義を兼ね表わしいると。レーンの『近世の埃及《エジプト》人』十八章には著者カイロにあった内、夫も子も友もない女が一犬を子のごとく愛したが、犬死んで愁歎の極、その柩前《きゅうぜん》に『コラン聖典』を運ばせ唱師から泣き婆まで傭うて人間同様の葬式行列を行い、事《こと》露《あら》われて弥次《やじ》り殺されかけた由を載す。して見ると犬を不浄至極と忌む回教中にも、時たまには実際これを人同様に葬する奇人があるのだ。
さて右述判事が七睡人の犬と言った訳は『コラン』十八章を見て判る。西暦二五〇年ローマ帝デキウス盛んにキリスト教徒を刑した時、帝に仕えた若者七人キリスト教を棄つるを厭い、エフェスス近傍の洞中に匿《かく》れ熟睡二百年に渉《わた》った。その間太陽日ごとに二度その進路を変えて洞中に光を直射せず。上帝また特に世話して、睡人を左へ右へ転ぜしめてその体の腐るを防ぎ、睡人の伴れた犬ラキムは前肢で洞口
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