と、僧は僧正の富まざるを知る故金を持って走り行く、僧正その咎《とが》を責むるに答えて、僧、尊者もしかの犬生前臨終ともいかに細心なりしかを知らば、人間同様の葬式したのをもっともと頷《うなず》かれるはず、就中《なかんずく》、かの犬臨終に尊者の窮乏を忘れず、遺言してこの百金を尊者に奉ったと取り出して捧げると、その金に眼がくれて一切|尤《とが》めず、犬に人間同様の墓を設くるを許したと。この話はその後ルサージュの『ジル・ブラース』などにも採用されおり、これに類した驢が人に遺産した話は十三世紀の欧州既にこれあったとアクソンの説だ(『ノーツ・エンド・キーリス』十輯十一巻五〇一頁)。
ア氏また曰く、これと同じ話が回教国にもあってアブダラ・バン・マームードの書に出づ。それには判事が犬主を喚《よ》んで、回教の信弟子に限った葬礼を不浄極まる犬に施すは不埒千万《ふらちせんばん》だ、七睡人の犬もオザイルの驢もかつてかかる栄遇を享《う》けたと聞かぬと叱ると、犬主死犬の睿智を称揚して判事に犬が二百アスペルを遺産したと申す。判事気色打ち解けて書記を顧み、それ御覧世間の口は不実なものだ、被告も正直過ぎて人に悪《にく》
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