の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を食いて、少しも害なかったと述ぶ。これはコッカトリセと※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を混じたようだが、本《もと》コッカトリセなる語はクロコジル(※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55])と同源より生じ、後コク(雄鶏)と音近きより混じて、雄鶏の卵より生まるる怪物とされたのだから(ウェブストルの大字書、コッカトリセの条)、シュミットの見解かえって正し、熊楠由って惟《おも》うに、バシリスクが自分の影を見て死する語《ものがたり》は、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の顔至って醜きより生じたのであろう。ジェームス・ローの『回教伝説』に、帝釈《たいしゃく》の天宮に住む天人、名はノルテオクが天帝の園に花を採る若い天女に非望を懐《いだ》いた罰として、天帝を拝みに来る諸天神の足を浄める役にされたが、追々諸神の気に入ってついに誰でも指さして殺す力を得た。それからちゅうものは、少しく癪《しゃく》に触《さわ》る者あればすなわち指さして殺すので、天帝すこぶる逆鱗あり、ヴィシュニュの前身フラ・ナライ(那羅延)に勅して彼を誅《ちゅう》せしむと来た。ナライ小碓皇子《おうすおうじ》の故智を倣《なら》い、花恥ずかしき美女に化けて往くと、ノンテオクたちまち惚《ほ》れて思いのありたけ掻《か》き口説《くど》く。あなたは舞の上手と聞く、一さし舞って見せられた上の事と、特種の舞を所望した。その舞を演ずるに舞人しばしば食指で自分を指さす定めだが、ノンテオクはナライの色に迷うて身を忘れ、舞を始めて自ら指さすや否や、やにわに死んだが、その霊地に堕ちて夜叉《やしゃ》となり、それから転生してランカ島の十頭鬼王となった(大正九年のこと別項「猴の話」)。勢力強大にして天威を怖れず、また天上に昇って天女を犯さんと望み、押し強くも帝釈宮の門まで往ったが堅く闔《と》ざされてヤモリが一疋番しおり、この金剛石門は秘密の呪言で閉じられいるから入る事は叶《かな》わぬと語る。鬼王あるいは諛《へつら》い、あるいは脅してとうとうヤモリから秘を聞き、一度唱えると天門たちまち大いに開け鬼王帝釈に化けて宮中に入る。その時、帝釈、天帝に謁せんとカイラス天山に趣く、留守の天女ども、鬼王が化けたと知らず、帝釈帰ったと思うて至誠奉仕し、鬼王歓を尽くして地に還る。真の帝釈、宮に帰って窓より鬼王が望みを果して地に還れるを見、大いに怒ってヤモリに向い、今後一定時に小さい緑色の虫汝の体に入り、心肝二臓を啖《くら》うぞと言うたので、ヤモリはいつもさような苦しみを受くる事となった。かくて帝釈は、天女どもを鬼王に犯されたと思うと焼けてならず、天帝に訴える。そこで天帝、帝釈の魂を二分し、一を天上に留め、他の一を地に下して、羅摩と生まれて、ランカを攻めて鬼王を誅せしめたとあるが、これはラーマ王物語を回教徒が聞き誤った一異伝で、果してこの通りだったら、羅摩は前生帝釈たりし時、妃妾を鬼王に犯され、その敵討《かたきう》ちに人界に生まれて、またその后シタを鬼王に奪われ、色事上返り討ちに逢ったヘゲタレ漢たるを免れぬ。件《くだん》のヤモリはその鳴き声に因ってインドでトケー、インドシナでトッケと呼ばる。わが邦で蜥蜴をトカゲというに偶然似て居る。また支那でヤモリを守宮というは、件《くだん》の『回教伝説』にヤモリ帝釈宮門を守るというに符合する。この属の物は多く門や壁を這うからどこでも似た名を付けるのじゃ。それに張華が、蜥蜴、あるいは※[#「虫+偃のつくり」、第4水準2−87−63]蜒《えんてい》と名づく。器を以て養うに朱砂を以てすれば体ことごとく赤し、食うところ七斤に満ちて、始め擣《つ》くこと万|杵《しょ》にして女の支体に点ずれば、終年滅せず、ただ房室の事あればすなわち滅す(宮女を守る)。故に守宮と号す。伝えいう東方朔、漢の武帝に語り、これを試むるに験あり(『博物志』四)といえるは、蚤《はや》く守宮の名あるについて、かかる解釈を捏造《ねつぞう》したのだ。
『夫木抄』に「ぬぐ沓《くつ》の重なる上に重なるはゐもりの印しかひやなからん」。『俊頼口伝集』下に「忘るなよ田長《たおさ》に付きし虫の色ののきなば人の如何《いかに》答へん」「ぬぐ沓の重なる事の重なれば井守の印し今はあらじな」「のかぬとも我塗り替へん唐土《もろこし》の井守も守る限りこそあれ」中略、脱ぐ沓の重なると読めるは女の密《ひそ》かに男の辺《ほと》りに寄る時ははきたる沓を脱げば、自ずから重なりて脱ぎ置かるるなりというた。この最後の歌はかつて(別項「蛇の話」の初項)論じた婬婦の体に、驢や、羊や、馬や、蓮花を画き置きしを、姦夫が幹事後描き替えた笑談と同意だ。右の歌どもはヤモリと井守を取り違えおれど、全く唐土の伝説を詠んだものだ。
さて、『回教伝説』にノルテオクが指させば人を殺し得るその指で自分を指さして死んだというのが、バシリスク自分の影に殺さる譚に酷似する。も一つこれに似たのは、古ギリシアのメズサの話で、そもそも醜女怪ステノ、エウリアレ、メズサの三姉妹をゴルゴネスと併称す。可怖《おそるべし》、また高吼の義という。翼生えた若い極醜女で、髪も帯も、蛇で、顔円く、鼻|扁《ひら》たく、出歯大きく、頭を揚げ、舌を垂れ振るう。あるいはいう、金の翼、真鍮の爪、猪の牙ありと。余り怖ろしい顔故これを見る人即座に石となる。西大洋の最も遠き浜で、夜の国に近い所に住むとも、リヴィアすなわち北アフリカに居るともいわれた。一説にメズサもと美麗な室女だったが、海神ポセイドンとアテナ女神の堂内で婬し、涜《けが》した罰でその髪を蛇にされたと、ゴルゴネス三姉妹の同胞になおグライアイ(灰色髪女)三姉妹あり、髪が灰色になった老女で、ただ一つの歯とただ一つの眼を共有し、用ある時は相互譲り使うた。この三姉妹リビアの極端、日も月も見えぬ地に棲み、常にゴルゴネス三姉妹を護った。初めアルゴスの勇士ペルセウス、その母ダナエの腹にあった時、神告げたは、この子生まるれば必ずその母の父アクリシウスを殺さんと、アクリシウスすなわち母子を木箱に納《い》れ、海に投げたが、セリフス島に漂到して、漁師ジクッスの網に罹《かか》り、救われ、懇《ねんごろ》に養わる。ジクッスの弟ポリデクテス、この島の王たり。ダナエを一度瞥見してより、花の色はここにこそあれ、願わくは鄒子《すうし》が律を吹いて、幽谷陽春を発せんと、雨夜風日熱心やまず、しかるにどうもダナエを靡《なび》けるにはその子が邪魔になるから、宴席でペルセウスを激して、王のためには何なりともすべし、怖るべき女怪メズサの首でも取り来るを辞せずと誓わしめたので、ペルセウスいよいよこの冒験事業を成し遂げんと出立したとあって、この時ペルセウスは既に小児でなく、立派な青年勇士となり居る。さように久しい間王がダナエを口説き廻ったとも思われず。惟うに『八犬伝』の犬江親兵衛同様の神護で、ペルセウスは一足飛びに大きく成長したでがなあろう。女神アテナ、かつてメズサがかく醜くならぬ内、己れと艶容を争いし事あるに快からず、因ってメズサの像をペルセウスに示し、その姉妹を打ちやり、単にメズサのみ殺せと教う。それよりペルセウス灰色髪女を訪い、そのただ一つある歯と眼を奪い、迫って三醜女怪方への道を聞き取り、また翅《つばさ》ある草履と、魔法袋と冥界王ハデースの兜《かぶと》を得、これを冒《かぶ》ると自分全体が他人に見えなくなる。そこへヘルメス神が鎌状の鋭刀をくれに来た。これらの道具で身を固めて大洋浜に飛び行くと、女怪ども睡りいた。女性に立ち向うて睨まると石になるから大いに困る所へ、アテナ女神現われ、その楯《たて》の鏡に映った女怪の影を顧み見ると同時に、女神の手でペルセウスの刀持った手を持ち添え、見事にメズサを刎《くびは》ねた。死んだ首を見ても石になるから、一切見ずに魔法袋へ投げ込み、翅ある草履で飛び還るを、残る二女怪追えどもいかでか及ばん。メズサの首はアテナに渡り、その楯に嵌《は》め置かる。後アテナ、勇士ヘラクレスにメズサの前髪を与う。テゲアの地、敵に攻められた時、その王女ステロペ、ヘラクレスの訓《おしえ》により、自ら後ろ向いてメズサの前髪を敵に向って城壁上に三度さし上げると、敵極めて怖れ、ことごとく潰走したという。前髪さえかくのごとくだから、よほど怖ろしい顔と見える。かくてギリシア人は醜女怪の首を甲冑の前立てとし、楯や胸当てに附け、また門壁の飾りとし、魔除けとしゴルゴネイオン(ゴルゴン頭)と称えた。惟うにバシリスク自影に殺さるる話に、この醜女怪説より融通された部分が多かろう。バシリスクの古い図は只今ちょっと間に合わぬ故、ここに現時バシリスクで学者間に通りいる爬虫の図を出す(第一図)。これは伝説のバシリスクと全く別物で無害の大蜥蜴、長さ三フィートに達し、その色緑と褐で黝《くろ》き横条あり。背と尾に長き鰭《ひれ》あり。雄は頭に赤い冠を戴く。冠も鰭も随意に起伏す。その状畏るべく、その色彩甚だ美し、樹上に棲んで植物のみ食う。驚けば水に入りて能く泳ぐ、メキシコとガチマラ西岸熱地の河岸に多し。その形、よく伝説のバシリスクに似る故、セバ始めてこれを記載し、バシリスク、また飛竜と名づけた。けだしこの人その起伏する長鰭を以て飛び翔《か》ける事、世に伝うるバシリスク、また竜のごとくだろうと察したのだ。バシリスクはギリシア語バシレウス(王)より出た名で、冠を戴いた体がいかにも爬虫類の王者を想わせる(スミスの『希羅人伝神誌字彙』。サイツフェルトの『古典字彙』。『大英百科全書』それぞれの条。ウットの『博物図譜』。ボーンス文庫本ブラウンの『俗説弁惑』バシリスクの条)。
[#地から2字上げ](大正十年五月、『太陽』二七ノ五)
[#「第1図 バシリスクス・アメリカヌス」のキャプション付きの図(fig2540_01.png)入る]
5
鶏を妖怪とする譚も少なからぬ。かつて『国華』に出た地獄の絵に、全身火燃え立ち居る大きな鶏が、猛勢に翅を鼓して罪人を焼き砕く怖ろしい所があった。これは鶏地獄でその委細は『起世因本経』三に出《い》づ。英国デヴォンシャーの一僧、魔法に精《くわ》しきが、留守中、その一僕、その室に入って机上に開いた一巻を半頁足らず読む内、天暗く暴風至り戸を吹き開けて、黒色の母鶏が雛を伴れて入り来り、初め尋常の大きさだったが、ようやく増して母鶏は牛大となる。僧は堂で説法しいたが、内に急用生じたとて罷《や》め帰ると、鶏の高さ天井に届き居る。僧用意の米袋を投げ、雛競い拾う間に禁呪《まじない》を誦してその妖を止めた(ハズリット、一巻三一三頁)、アフリカまた妖鶏談あって、一六八二年コンゴに行ったメロラ師の紀行に、国王死後二人あって相続を争う、一人名はシマンタムバ、この者ソグノ伯が新王擁立の力あるを以て、請うてその女を娶《めと》り、伯|佯《いつわ》ってこれを許し、娘と王冠を送るを迎えた途中で掩殺《えんさつ》さる。シマンタムバの弟軍を起し、ソグノ伯領の大部分を取り、伯これを恢復せんとて大兵を率い敵の都へ打ち入るに、住民皆逃げて抗する者なし。伯の軍勢空腹を医するため飲食を掠《かす》むる内、常より大きな雄鶏、一脚に大鉄環を貫けるを見、これは魔物故食わぬがよいと賢人の言に従わず、打ち寄せて殺し、裂き煮て食いに掛かると、ほとんど溶けいた鶏肉片が動き出し、合併して本の鶏となり、壁に飛び上ると新羽一斉に生え、更に樹に上って三度翼を鼓し怖ろしい声で鳴いて形見えずなった。さてこそ魔物と一同震慄した。シマンタムバ常に一大鶏を畜《か》い、その鳴く声と時刻を考え、事ごとに成敗を知ったと聞くが、それも無効と見えてソグノ伯に紿《あざむ》き殺された。今度の妖鶏はその鶏であろうかとある(ピンカートンの『海陸紀行全集』一六巻二三八頁)。
支那でも雲南の光明井に唐の大歴間、三角牛と四角羊と鼎足鶏|見《あら》われ、井中火ありて天に燭《しょく》す。南詔以て妖となし、こ
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