て帰れば孕む。猴食わず交わらずば孕む事なし。土伝に唐の時民丁五百余口あって皆無頼なり、神僧その家に至り水を吹き掛けてことごとく猴と成した、ただ一|嫗《おう》を留めて化せしめず、その旧宅なお存すと。『淵鑑類函』四三二ジャワ国の山に猴多く人を畏れず、呼ぶに霄々《しょうしょう》の声を以てすればすなわち出《い》づ、果実を投げればその二大猴まず至る、土人これを猴王、猴夫人という。猴王、猴夫人食うた余りを群猴食うとある。
スラバヤ同様猴に懐妊を祈ること出口米吉氏の「土俗覧帳」(『人類学雑誌』二八巻十号)に『大朝』紙を引いて、尾張海東郡甚目寺観音院境内にオサルサマあり、子を授くるとて信者多し、その本尊木彫の猴、高さ一尺内外の坐像、半身大の桃実を抱き真向に坐す。なおこの正体のほかにこれに似た一猴像あり、こは今より百年以前非常に流行せしために更に一の副像を造れるなり。この猴の像を借り受けて寝る時はたちまち子を授かるとて諸方よりこれを借る者多かりし故なり。今も借りに来る者多く、借料一週間一円なりというと見ゆ。マレー群島のチモル・ラウトでは婚礼の宴席で新夫婦の間に、一男児と一女児を坐らせ子を生むべく祝い、
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