書斎に対して住みいた芸妓置屋の女将が愛翫したカジカ蛙が合掌して死んだは信心の厚い至りと喋々《ちょうちょう》して、茶碗の水ででも沾《うるお》したものか、川穀(ズズダマ)大の涙を落し坊主に読経させて厚く葬ったと聞いた。善男信士輩、成湯《せいとう》の徳は禽獣に及びこの女将の仁は蛙を霑《うる》おすと評判で大挙して弔いに往ったは事実一抔|啖《くわ》されたので、予が多く飼うカジカ蛙が水に半ば泛《うか》んで死ぬるを見るに皆必ず手を合せて居る。これはこの蛙の体格と死に際の動作がしからしむるので念仏でも信心でもない。チャーレス・ニウフェルドの『カリーファの一囚人』(一八九九年板)に、著者が獄中にあって頭上で夥しく砲丸破裂の憂目《うきめ》を見た実験談を述べて、その時獄中の人一斉に大腹痛大下痢を催したと書いた。われわれ幼時厳しく叱《しか》られ驚愕《きょうがく》措《お》く所を知らぬ時も全くその通りだった。因って想うに猴も人も筋肉の構造上から鉄砲など向けらるると自ずと如上《じょじょう》の振る舞いをするので、最初は驚怖が合掌を起し、追々恐怖が畏敬に移り変って合掌する事となったので、身持ちの牝猴も女も、恐怖極まる時
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