び掛かるごとく樹の最下枝に走り降り、たちまち止って血をあびたる場所を探り抓《つま》んで予に示した。その状今に至って眼前にあり、爾来また猴を射った事なし、予幕中に入りて一行にこの事を語りおわらぬ内、厩卒来りてかの猴死んだと告ぐ、因って尸《しかばね》を求めしむるに他の猴ども、その屍を持ち去って一疋も残らずと。
 熊楠いわく、故ロメーンズ説に猴類の標本はどうしても十分集まらず、これはその負傷から死に至る間の惨状人をして顔を背《そむ》けしむる事甚だしきより、誰もこれを銃殺するを好まぬからだと。『三国志』に名高い呉に使して君命を辱《はずかし》めなんだ蜀漢の※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]芝《とうし》は、才文武を兼ねた偉物だったが、黒猿子を抱いて樹上にあるを弩《ど》を引いて射て母に中てしにその子ために箭《や》を抜き、木葉を巻きてその創《きず》を塞《ふさ》ぐ、芝嘆じてわれ物の性に違《たが》えり、それまさに死せんとすと、すなわち弩を水中に投じたがやがて俄《にわか》に死んだという。南唐の李後主青竜山に猟せし時、一牝猴網に触れ主を見て涙雨下し稽※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]《けい
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