鴒の意味分らず、あるいは馬神と水神との相互関係を推測せしむる料にあらずやといわれたが、川柳に「鶺鴒も一度教へて呆れ果て」、どど一《いつ》にも「神に教えた鶺鴒よりもおしの番《つが》いが羨まし」ナント詠んだごとく、この鳥特異の動作を示して二尊に高尚なる学課を授け参らせたに因って、「逢ふ事を、稲負《いなおわ》せ鳥の教へずば、人を恋に惑はましやは」それを聞き伝えたものか、嬌女神ヴィナスの異態てふアマトンテの半男女神はこの鳥を使者とし、その信徒に媚薬として珍重された。今村鞆君|元山府尹《げんざんふいん》たり、近く『増補朝鮮風俗集』を恵贈さる。内に言えるは鮮人の思想貧弱にして恋愛文学なく、その男女の事を叙するや「これと通ず」「これを御す」と卑野露骨にして憚《はばか》らずと。それについての鄙見《ひけん》は他日に譲り差し当り述ぶるは、『淮南子《えなんじ》』に〈景陽酒に淫し、髪を被りて婦人を御し、諸侯を威服す〉。その他古文に〈婦女を御す〉というが多い。これは鹿爪《しかつめ》らしい六芸の礼楽|射御《しゃぎょ》の御とは別にしてしかも同源の語で、腰を動かすてふ本義だ。所詮《しょせん》鶺鴒の絶えず尾を振るごとく
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