ぬ。しかし『淵鑑類函』四三二、後漢王延寿王孫賦、既に酔い眠った猴を縛り帰って庭厩に繋《つな》ぐとあれば、郭璞に始まったとは大啌《おおうそ》だ。それから、伊勢貞丈《いせさだたけ》、武士、厩の神を知りたる人少なしとて、『諸社根元記』と『扶桑略記』より延喜天徳頃|左右馬寮《さうまりょう》に坐せし、生馬の神、保馬の神を挙げ、『書紀』の保食神《うけもちのかみ》牛馬を生じたるよりこの二神号を帯びたのだろといった(『あふひづくり』上)、この二神は猴でなかろう。『塵添※[#「土へん+蓋」、第3水準1−15−65]嚢抄《じんてんあいのうしょう》』四、猿を馬の守りとて馬屋に掛くるは如何、猿を山父、馬を山子といえば、父子の義を以て守りとするか、ただし馬櫪神《ばれきしん》とて厩神|在《いま》す、両足下に猿と鶺鴒《せきれい》とを蹈ませて二手に剣を持たしめたり、宋朝にはこれを馬の守りとす、この神の踏ませるものなれば猿ばかりをも用ゆるにや。橘守国《たちばなもりくに》の『写宝袋《しゃほうぶくろ》』にその像を出せるが『※[#「土へん+蓋」、第3水準1−15−65]嚢抄』の所記と違う。柳田氏は猿を添うるは判っているが、鶺
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